静岡浅間神社「棕櫚紋」|富士山の噴火を棕櫚の葉がなだめる

静岡浅間神社と桜の画像。上部には、神社の神紋が左から「棕櫚紋」「輪宝紋」「軍配紋」「花葵紋」と並んでいる
目次

静岡浅間せんげん神社

「おせんげんさん」

南を望めば豊かな駿河湾
西には清らかな水の安倍川
北には雄大な南アルプス
東には誇りの富士山をたずさえて
その真ん中を賤機しずはた山の尾根が走る。

稜線りょうせんの消えるふもとに、「おせんげんさん」の愛称で、静岡市民に親しまれてきた「静岡浅間神社」があります。

写真 Google Earth

見渡す限りの総うるし塗り

静岡浅間神社では、26もの建物が国の重要文化財に指定されています。
神社は、あちらもこちらも総うるし塗りの社殿。
そのほとんどが、拝殿と本殿が対になっており、計23棟にも及びます。
この重要文化財の数は、日光東照宮に次いで全国2番目の多さを誇ります。
3番目は、同じ静岡市にある久能山くのうざん東照宮(日光の前身)です。
この豪華な社殿を寄進したのは、徳川家康です。
子供の時に今川氏の人質となった家康は、駿府に住んでいました。
人質といっても今川義元いまがわよしもとに大切に育てられ、元服の儀式はこの浅間神社で、教育は近くの臨済寺りんざいじで受けていました。

やがて武将となった家康は、賎機山の城に立てもる武田軍を破るため、再建すると約束をして静岡浅間神社と臨済寺を焼き払いました。
時を経て、天下をとった家康は神社を再建し、その後 火災で焼失した折も徳川幕府の庇護ひごによって、総漆塗り・極彩色ごくさいしき豪華絢爛ごうかけんらんな社殿が寄進きしんされ続けました。
(なぜか臨済寺は再建されませんでした)

写真 臨済寺 家康公の手習の間

神様は “おしくらまんじゅう”

静岡浅間神社には七つのやしろがあります。

明治政府が進めた神社の合祀ごうしにより、40もの神社が合併され、なんと56柱もの神様がまつられることになりました。

欲張って … 願いの全てがかなうかも

静岡浅間神社にある七つのおやしろ、全てをお参りすれば「万願成就まんがんじょうじゅ」。
贅沢ぜいたくに、どんな願いも全てかなえてくれるとか。
神 社叶えられる願い
神部かんべ神社延命長寿・縁結び・除災招福
浅間あさま神社安産・子授け・婦徳円満
大歳御祖おおとしみおや神社農、漁、工、商業など諸産業の繁栄、守護
麓山はやま神社衣食住の生活を守る
少彦名すくなひこな神社病気平癒へいゆ・疫病退散・技芸上達・知恵を授ける
八千戈やちほこ神社開運・必勝・武運長久
玉鉾たまぼこ神社学業成就・試験合格

神部かんべ神社

出雲よりお越しいただいて

神部かんべ神社の鎮座ちんざは、なんと紀元前91年(崇神すじん天皇7年)、弥生時代と伝えられています。
大国主命おおくにぬしのみことが出雲大社から奈良を通って、駿河の国へとお越しになりました。
祭神さいじんは「大己貴命おおなむちのみこと」、大国主命の別のお名前です。
そして、徳川家康公もまつられています。

神紋は「輪宝紋りんぼうもん

輪宝紋りんぼうもん
神部かんべ神社の神紋は「輪宝紋りんぼうもん」です。
輪宝りんぼうとは、車輪の形をした文様で、中心から放射状に8本の剣が配置されています。
古代インドの王の武器の一つでしたが、仏教に取り入れられ、煩悩ぼんのうくだき教えを八方に広める象徴となりました。
江戸時代ならではの、神仏習合の紋様です。

魔除け、導き、発展の意味があります。

八千矛やちほこ神社

神様には、表と裏がある

神様には二つの顔(魂)があります。
穏やかで平和をもたらす「和御魂にぎみたま」。 
荒々しく時に破壊をもするけど、創造する力を持つ「荒御魂あらみたま」。
例えば、自然と同じ。
めぐみの雨となったり、暴雨や洪水で苦しめられることも。

神部神社の大国主命は「和御魂にぎみたま」です。
そして、八千矛やちほこ神社の主祭神・八千矛命が、大国主命の「荒御魂あらみたま」です。
八千矛命やちほこのみことはスポーツや武道の必勝の守護神と言われています。

かつて、徳川家康は戦いの神様「摩利支天まりしてん」を信仰しており、八千矛神社には摩利支天像が安置されていました。
明治政府の神仏分離令により、現在は臨済寺りんざいじまつられています。

写真 臨済寺所蔵 摩利支天像

軍配ぐんばい

軍配ぐんばい
軍配ぐんばいとは、将軍が戦場で指揮を取るために使った団扇うちわの一種です。
八千矛やちほこ神社には、徳川家康が実際に関ヶ原の合戦で使った軍配が納められているそうです。

軍配は勝利を導くための道具。
軍配紋には、必勝の意味があります。

少彦名すくなひこな神社

神様は一寸法師のモデル

ご祭神の「少彦名命すくなひこなのみこと」は一寸法師のモデルと言われています。
手のひらに乗るほどの小さな神様ですが、そのパワーは壮大。
大国主命おおくにぬしのみことと協力して「国造くにづくり」—— 土地を開拓し、稲作を広め、医薬を普及させ、日本の国を豊かにしたのです。
少彦名命は医薬の道を切りひらかれました。
病気平癒へいゆの神社として信仰されています。

浅間あさま神社

七つの社殿を総称しての「静岡浅間神社」は「せんげん」と呼びますが、その中の社の一つである「浅間神社」は「あさま」と呼びます。

富士の山よ 怒りをしずめて

浅間あさま神社の本宮は富士山のふもと鎮座ちんざする富士山本宮浅間大社ふじさんほんぐうせんげんたいしゃです。
その新宮として、静岡浅間神社は901年に醍醐天皇により鎮座されました。

平安時代、富士山は活発に噴火を繰り返していました。
当時の人々にとって、富士山はただの山ではなく神そのもの。
燃え上がる噴煙や大地の揺れは、神の怒りの現れとおそれられていたのです。
その鎮静を願い、祈りの場として建てられたのが、浅間神社でした。
浅間神社の主祭神は「木花咲耶姫命このはなさくやひめのみこと」です。
字の通り、木花(桜)の花が咲き匂うような、とても美しい女神様。
咲耶姫さくやひめ身籠みごもっているとき、夫に不貞ふていを疑われ、産屋に閉じこもってしまいました。
そして火をつけ、燃え盛る中 無事に三柱の神子をお産みになったのです。
この故事から火を静める神として、浅間神社の主祭神になられたと言われています。

棕櫚しゅろ

棕櫚しゅろ
浅間神社では祭祀さいしにあたり、「棕櫚しゅろの葉」を神前に供えました。
棕櫚の葉で作った扇には、神聖な風を巻き起こす力が宿ると信じられていたからです。
その風は、荒ぶる火を静め、神の怒りを鎮める—— 。
棕櫚の葉は、神を招き、山を鎮める依代よりしろとして尊ばれていきました。
そして、浅間神社の神紋となりました。
静岡浅間神社と富士山本宮浅間大社は、同じ「棕櫚紋」ですが、少しデザインの違う神紋です。
静岡の方は葉が8本、富士山の方は17本。
葉の付け根も、富士山の方は渦を巻いています。

大歳御祖おおとしみおや神社

商売繁盛はお任せあれ

大歳御祖おおとしみおや神社は273年(応神天皇おうじん4年)、弥生時代の終わり頃に鎮座ちんざしました。
奈良時代には、この神社の門前で「安倍あべいち」が開かれ栄えていたそうです。
山の幸、海の幸が集まる活気のある場所でした。
万葉集にも「駿河なる 安倍の市道に…」と詠まれているほどです。
この市場の守護神として、また各産業の発展を促す神として「大歳御祖命おおとしみおやのみこと」は尊敬されてきました。
この大歳御祖命おおとしみおやのみことは、浅間神社の祭神「木花咲耶姫このはなさくやひめ」の姉神様(別名「石長比売命いわながひめのみこと」です。

花立葵はなたちあおい

花立葵はなたちあおい
立葵たちあおいの2つの葉の間に1つの花、その上に3つのつぼみを描いた図柄です。
高く真っ直ぐに伸び、大輪の花を次々と咲かせる立葵には、繁栄の願いが込められています。

麓山はやま神社

神様も里帰りなさる

境内の百段の階段を登り、息をきらしながらも木々のトンネルを抜けると、静謐せいひつに包まれた「麓山はやま神社」が現れます。
ご祭神は「大山祇命おおやまづみのみこと」—— 木花咲耶姫命このはなさくやひめのみこと石長比売命いわながひめのみこと(大歳御祖命おおとしみおやのみこと)の父神様です。
静岡浅間神社では、春と秋にユニークな神事が行われます。

木花咲耶姫命このはなさくやひめのみことが毎年2回、麓山はやま神社の父神の元へ里帰りをなさるのです。
姫神は、神職たちのかつ神輿みこしに乗られ、百段の階段を登り、大山祇命おおやまづみのみことのもとへお渡りになります (昇祭のぼりさい)。
翌日、浅間神社へとお戻りになるのです (降祭くだりさい)。

神様の物語

私たちの寿命は、姉妹神の美しさで決まった ⁉︎

神話の中の話。

天照大神あまてらすおおみかみの孫神「邇邇芸命ににぎのみこと」は、木花咲耶姫命このはなさくやひめのみことの美しさに心奪われて、求婚なさいます。
父神「大山祇命おおやまづみのみこと」は喜び、姉の「石長比売命いわながひめのみこと(大歳御祖命おおとしみおやのみこと)」も一緒に嫁がせました。
ところが、夫の邇邇芸命ににぎのみこと
「姉の方は、ひどく醜い」という理由で、すぐに送り返してしまいます。
父神は嘆き、こう仰いました。
咲耶姫さくやひめは桜が美しく咲くように、栄えることを願った」
石長比売いわながひめは、石のように強く永遠に変わらぬ命を願った」
石長比売いわながひめを返したから、邇邇芸ににぎの子孫の寿命は桜の花のようにはかなくなるだろう」
邇邇芸命ににぎのみことの子孫が初代・神武じんむ天皇となりました。
日本人の寿命はこの時に定められたのでしょうか。

静岡浅間神社は、まるで神様の縮図

大国主命おおくにぬしのみことのおかげで豊かになった日本。
その国を、天照大神あまてらすおおみかみは自分の子孫が統治すべきと考えました。
大国主命おおくにぬしのみことは、出雲に高いお社(出雲大社)を造ってもらうことを条件に、精魂込めて開拓した国を天照大神あまてらすおおみかみの孫の邇邇芸命ににぎのみことに譲りました。
そう、邇邇芸命ににぎのみこと木花咲耶姫命このはなさくやひめのみことの夫です。
写真 出雲大社境内の大国主命像
静岡浅間神社では、大国主命おおくにぬしのみことの神部神社と木花咲耶姫命このはなさくやひめのみことの浅間神社の本殿は別々ながら、同じ屋根の下に建っている珍しい構造です。

最初は、この地域に偶然 点在していた神社が、駿河の国の総社として、一つにまとまったと思っていました。
 ※ 神々をまとめて祀る神社のこと
けれど神話を辿たどるうちに、点だった神々が線として繋がってきたのです。
それぞれの神社がここ静岡浅間神社にまつられていることは、必然だったのかもしれません。

玉鉾たまほこ神社

伊勢神宮からのお引越し

玉鉾たまほこ神社は明治時代に創建そうけんされた、静岡浅間神社の中では一番新しい神社です。
文明開化により西洋化が急激に進む中、日本の伝統や文化、そこに息づく精神を尊重しようと「国学こくがく」が盛んになりました。
玉鉾たまほこ神社には、国学の四人の先駆者—— 羽倉東麿はぐらあづままろ岡部真渕おかべまぶち本居宣長もとおりのりなが平田篤胤ひらたあつたねが「国学の四大人しうし」としてまつられています。
社殿は白木造り。
伊勢神宮の式年遷宮しきねんせんぐうでの御古材おこざいによって再建されました。
学問の神様として、受験シーズンには沢山の絵馬が奉納されています。

楼門ろうもん

色がげれば金色

楼門ろうもんの彫刻は極彩色が美しいです。
通常、彩色は、貝殻を砕いた胡粉こふんで下地を白く塗り、その上に色を重ねます。
静岡浅間神社が特別なのは、胡粉こふんではなく、豪華にも金箔を貼ってしまうのです。
そのため年月が経つと、普通なら色がげて白っぽくなるのに、静岡浅間神社の彩色は ほのかに金色に輝いてくるのです。

火除ひよけのお守りはハート

楼門ろうもんが建てられた江戸時代、最大の脅威は火事でした。
静岡浅間神社も大火に遭い、2度焼失しています。
楼門には、当時の精一杯の火除ひよけである「火伏ひぶせ」が見られます。
波や龍の彫刻。
そして、ハートの形の飾り「猪目いのめ」です。
いのししは火をつかさどる神の使いとされ、そのいのししの目をかたどったハート形は火除ひよけの“おまじない”でした。
他にも、魔除け・厄除け・招福など、たくさんの意味があります。
猪目いのめは楼門だけで80ヶ所、神社内では15,000ヶ所もあるそうです。

大拝殿

大拝殿おおはいでんは富士山

富士山を模して江戸幕府が10年をかけ造営した、高さ21メートル・二層の屋根を持つ威風堂々とした佇まいの神部神社・浅間神社の大拝殿(おおはいでん)
神部神社・浅間神社の大拝殿おおはいでんは、威風堂々いふうどうどうとしたたたずまい。
それもそのはず、富士山を模しているのです。
二層の屋根を持ち、高さ21m、広さは畳132帖にも及び、江戸幕府により10年もの歳月をかけて造営されました。
極彩色の生き生きとした彫刻や天井絵など、細部の装飾も見事です。

舞殿ぶでん

能楽のうがくの父、観阿弥かんあみの最後の舞台

まだ室町時代のこと。
初代今川氏の当主・今川範国いまがわのりくには、京都で盛んだった能楽のうがくを地方へと広めました。
神部かんべ神社に能舞台を造ったのが、この舞殿ぶでんの始まりです。
静岡浅間神社の極彩色の建物の中、異質の白木造りです。
能楽の創始者「観阿弥かんあみ」は、今川範国いまがわのりくにの招待を受け、この舞台で能を奉納しました。
しかし残念ながら、その後すぐに駿府の地で亡くなってしまいます。
静岡浅間神社の舞殿は、観阿弥かんあみの最後の舞台となったのです。

御神水ごしんすい井戸

疫病退散・延命長寿の水

静岡浅間神社内には、「御神水ごしんすい」と呼ばれる、清らかな水が湧く井戸があります。
徳川家康公も手水ちょうずに使ったと伝えられ、祭祀さいしにも用いられる大切な水です。
参拝者もいただくことのできる、この御神水ごしんすい
疫病退散や延命長寿のご利益があるとされています。

賎機山古墳しずはたやまこふん

境内の中には古墳こふんもある

静岡浅間神社の百段の階段を登った南側には、古墳こふんがあります。
6世紀頃に築かれたもので、この地域を治めた最有力豪族の墓と考えられています。
残念ながら、石棺の中は盗掘により空っぽでしたが、その周りからは土器、武器、馬具など多くの副葬品が出土したそうです。

静岡浅間神社の七不思議

1. 一つ石

静岡浅間神社の外側を流れる水路は、神社を囲むように、ぐるりと180度カーブしています。
かつて、西側を流れる安倍川は、度々 氾濫はんらんを繰り返していました。
川が運んだ大量の土砂によって行き場を失った流れは、賎機山しずはたやまふもとを廻るようになった――この水路の始まりです。
その後、徳川家康による治水工事によって、暴れ川は静められました。
さて、ここからが不思議なお話。
この水路の石垣ですが、最下段―― 底に面した部分が、なんと一つの石でできているのだとか。

2. 叶馬かなえうま

総門をくぐってすぐ、境内には木の馬が安置されています。
徳川家康公の寄進した馬を偲び、名工・左甚五郎ひだりじんごろうに作らせたものだそうです。
願い事をなんでもかなえてくれる「叶馬かなえうま」として、今でも人気のお馬さんです。
実はこの馬、元々は二頭いました。
ところが安永あんえいの大火の際、二頭の木の馬は、なんと自ら御穂みほ神社へ逃げ出してしまったというのです。
御穂みほ神社は、羽衣伝説で知られる三保みほやしろ。
その後、一頭は御穂みほ神社に残り、もう一頭だけが静岡浅間神社へ戻ってきたとか。

静岡といえばお茶どころ。
北原白秋が作詞した「ちゃっきり節」にも、この叶馬かなえうまの伝説が登場します。

「しづや賎機しずはた 浅間さまの 白いお馬よ 三保へお馬よ なぜ逃げた」
「ちゃっきり ちゃっきり ちゃっきりよ きやあるがくから雨づらよ」

3. 水飲み龍

総門に彫られた龍。
こちらも左甚五郎ひだりじんごろうの作と伝えられています。

同じ 安永あんえいの火事の際、龍は門から飛び出して、境内の池の水を呑み、社殿に吐いて消火を手伝ったとか。

4. 鳴きうずら

神部神社の本殿に「粟穂あわほうずら」の彫刻があります。

まるで生きているような彫刻なので、うずらが鳴いたとか。

5. 八方はっぽうにらみの龍

大拝殿だいはいでんには、江戸幕府の御用絵師ごようえしが描いた天井画が10枚飾られています。
華やかな八人の天女や迦陵頻伽かりょうびんがたちは楽器を演奏しながら、花や香炉こうろを持ちながら、飛翔ひしょうしています。
※ 上半身は天女、下半身は鳥の姿をした伝説の雷鳥
そして、八方をにらむ龍と四方をにらむ龍。

畳六帖もの大きさがある「八方にらみの龍」をどこから見ても、龍ににらまれてしまうとか。
絵はイメージです

6. 山上の不思議

麓山はやま神社への参道にある大きな石「鳴石なきいし」。
その前を踏むと、まるで鳴いているような不思議な音がするのだとか。

今は大きな石は見当たらず、写真のような大木がたくさん立っています。

7. 四方はしりの馬

毎晩、絵馬から抜け出した馬が、田畑を踏み荒らしたそうな。
つなを描かれて、繋がれてしまったとか。
写真はイメージです

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