桐文様|鳳凰が棲む神聖な木 

桐文様|鳳凰が棲む神聖な木 

鳳凰が棲むと言われる神聖な木「桐文様」の描き下ろしイラスト
桐文様
目次

藤原頼通よりみち

偉大な父“道長” と 息子“頼通”は正反対

藤原道長像『紫式部日記絵詞』より
藤原頼通よりみちは道長と倫子ともこの長男です。
親子で摂関政治の全盛期を築きました。
道長には6人の息子がいましたが、頼通は「道長の愛子(最愛の息子のこと)」と言われるほど、特別な存在でした。
若干25歳の頼通に摂政の座を譲ります。

しかし、2人は生き方も考え方も違っていました。

絵 藤原道長像『紫式部日記絵詞』出典:ウィキメディア・コモンズ
 道 長頼 通
出世若い時の出世は遅かったが、恵まれた運・本人の力量・高貴で豊かな本妻のおかげで摂政となる父のおかげで出世は早く15歳で公卿、25歳で摂政となる
摂政の期間わずか1年→道長の家系が摂政を世襲することを世間に示すため、早々に息子に摂政の座を譲る
しかし、頼通の背後で実権を握り続けた
50年
道長に支えられ、道長亡き後は、姉の彰子太皇太后あきこたいこうたいごうに支えられる
恐妻家
「男の出世は妻の家柄しだい」という考え
妻2人と妾が大勢いた
愛妻家
本妻との間に子がいないため、後に3人の
性格実行力があるが、時に強引な場合も
よく人に感謝の気持ちを伝える
穏やかな性格だが、それゆえ父ほどの実行力がない
建立浄妙寺 法成寺 ともに現存せず宇治平等院…世界遺産

頼通の大きな功績

絵 藤原頼道の館へ天皇が行幸した場面 『駒競行幸絵巻(模本)』
頼通の大きな功績の一つは、宇治の平等院びょうどういんを創建した事です。
頼通は、父、道長から受け継いだ宇治の別邸を寺院として改修しました。
当時、世の中は、反乱や疫病など混乱していたため、国の平安を祈祷することが目的でした。

絵 藤原頼道の館へ天皇が行幸した場面 『駒競行幸絵巻(模本)』 出典:ColBase
平等院に今も残る貴重な建物や彫刻は、世界遺産にも指定され、平安時代の文化に触れることができます。

特に鳳凰堂は、極楽浄土の宮殿をモデルにしたとされ、大変美しい建物です。

平等院鳳凰堂については、こちらで詳しく説明しています。

大河ドラマの中での『源氏物語』の再現

絵 国貞『源氏香の図』紅葉賀
道長が絶頂を極めた日…
3人の娘が、それぞれ太皇太后たいこうたいごう皇太后・中宮となり、一家に三后さんごうという歴史上初めてのほまれの日でした。
「本宮の儀」という お祝いの宴会が開かれました。
その時に道長が詠んだのが、あの有名な和歌。
この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も 無しと思へば

大河『光る君へ』ではこのシーンで、頼通と弟の教通が「青海波せいかいは」を舞いました。
夜、照らされる灯りの中、2人が手に持つ紅葉と赤い衣装が映えて、幻想的な映像でした。

「青海波」は2人の踊り手が同時に袖を振り、寄せては返す波を表します。
絵 国貞『源氏香の図』紅葉賀 出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」
『源氏物語』の「紅葉賀」の巻にも同様のシーンがあります。
絵 青海波を踊るシーン 源氏物語図屏風(紅葉賀) 梅戸在親筆 出典:ColBase
青海波を踊るシーン 源氏物語図屏風 (紅葉賀) 梅戸在親筆
光源氏と義兄の“頭中将”は、帝や中宮の御前で「青海波」を舞いました。
光源氏の顔立ち、足拍子など美しく、この世のものとは思われないご様子に、観ている人々は感涙したのでした。

もののおもしろきほどに、同じ舞の足踏面持、世に見えぬ様なり

きり文様

大河『光る君へ』の中で、頼通が舞った「青海波せいかいは」の赤い衣装には、様々な文様が描かれて とても華やかな衣装でした。
肩の部分には、「桐文様」が描かれていました。
桐文様
天皇と許された者のみが使える文様に「桐竹鳳凰麒麟きりたけほうおうきりん」があります。
鳳凰ほうおうが桐の木にむという伝説から、「桐文様」も高貴な文様とされていました。

豊臣秀吉が家紋としたことでも有名です。

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