
「鳳凰文様」は、記事の最後に解説しています。
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目次
源俊賢
源氏と平氏の始まり

武士の起こり、源氏と平氏。
そのルーツは平安時代にありました。
天皇である帝の大切な役目は皇子をたくさん作り、その血筋を絶やさぬこと。
帝には、多くの妃がいて多くの息子たちがいました。
次の帝になる“東宮”以外の皇子は臣下に降ります(臣籍降下)。
皇子には姓(苗字)がありませんが、臣下に下ると姓が必要となります。
皇子たちは、「源」か「平」を名乗りました。
これが源氏、平氏の始まりです。
やがて、それぞれの末裔が武士として台頭していきました。
絵 源平合戦図屏風 出典:Colbase(東京国立博物館)
源俊賢、苦難の子供時代

源俊賢は、道長の妻 明子の兄です。 俊賢の父、源高明は醍醐天皇の皇子ですが、臣下に下り左大臣となりました。 藤原氏は勢力を伸ばすため、ライバルの高明を陰謀により、太宰府(福岡)へ左遷させてしまいます(安和の変)。 藤原道長の父、兼家も陰謀の一役を買っていたという説があります。 高明は3年後に罪が許され都に戻りますが、もはや政治への力はなく隠棲しました。 当時、上流貴族の息子は高い位が与えられ、適齢になれば官僚として働く人ができました。 中流と下流貴族の息子は、官僚育成機関である「大学寮」に通い、国家試験に合格すれば位が授けられ官僚になれました。 天皇の孫である俊賢は上流貴族、本来なら すぐに官僚になれたのですが、敢えて高明は息子を大学寮で学ばせます。 官僚は高い基礎学力があってこそ、力を発揮できるという考えからでした。 絵 源俊賢 出典:菊池容斎 『前賢故実』国立国会図書館デジタルコレクション

『源氏物語』でも光源氏は、息子の“夕霧”を大学寮で学ばせました。
「学力が無いまま苦労せず出世しても、後に後ろ盾となる人が亡くなり落ちぶれたとき、人々から見放されてしまう」
と光源氏は説いています。
そこから、源俊賢は“夕霧”のモデルと言われています。
絵 上中央の男性が夕霧 出典:土佐光吉 『源氏物語絵色紙帖 藤裏葉』 ColBaseより
「四納言」と呼ばれるまでに

一条帝の朝廷政治は後の世から「めでたき政治」…素晴らしい政治と称賛されました。
道長と共に帝を支えた4人、藤原公任、藤原斉信、藤原行成、そして源俊賢を「一条帝の四納言」と呼びます。
絵 一条天皇像 出典:真如堂所蔵 パブリックドメイン

俊賢にとって、道長一族は父の仇。
幼い頃から苦労をし、後ろ盾のない俊賢は、出世をするためには、藤原一族とは争わず、自らのスキルで勝負するしかないと悟ります。
この頃の朝廷政治で重要なことは、宮中で行われる様々な年中行事の儀式を先例通りに行うことでした。
そのため儀式の手順に精通していることは、政治的に大きな力があることです。
俊賢の父高明は、儀式の手順を記録した『西宮記』を書き残していました。
俊賢は儀式を熟知、大学寮で学んだことも助けとなり、道長から信頼を置かれる存在となります。
昇進を続け、やがて四納言と称されるまでに自らの力で出世したのです。
写真 源俊賢著『西宮記』出典:国立国会図書館デジタルコレクション
鳳凰文様

ドラマ「光る君へ」での源俊賢の衣装の文様は鳳凰でした。
鳳凰文様

鳳凰は中国の伝説の霊鳥※です。
※ 尊く不思議な力を持つ鳥
冠は鶏、鱗は龍、羽は五色、声は楽器の音色のよう。
徳の高い君子が帝になると、この世に姿を現すと言い伝えられてます。
「鳳凰」の「鳳」が雄、「凰」が雌を表わしています。
日本へは奈良時代に伝わりました。
正倉院宝物に数々の美しい鳳凰の文様が見られます。
鳳凰文様は帝など高貴な人が使うことのできる文様でした。


