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江戸のメディア王「蔦屋重三郎」
大河「べらぼう」の主人公“蔦屋重三郎”は、どんな人?

大河ドラマ「べらぼう」の主人公“蔦屋重三郎”は、江戸時代のメディア王と称される人物。
彼は版元(今でいう出版社)の経営者として活躍しました。
現代の大手書店TUTAYAは蔦重の子孫というわけではなく、蔦重にあやかり その名をつけたとか。
蔦重の商いは、生まれ育った遊郭“吉原”で、貸本屋から始まりました。
写真: 北尾重政作 左端の人物が蔦屋重三郎

当時の吉原は約2万坪という大きさで、遊女は2000人以上もいました。
広大な遊廓に、遊びに来る客、訪れる観光客たちには、吉原案内のガイドブック「吉原細見」が必需品でした。
『吉原細見』は売れ行きが良かったため、多くの版元が毎年のように発行していました。
斬新なアイデアを次々と生み出した蔦重

吉原細見の中でも ひときわ人気を集めたのが、蔦重の作った細見でした。
吉原に住んでいるという強みを生かし、斬新なアイデアを盛り込んだからです。
中でも有名なのが『一目千本』。
花魁の性格を花に例えて紹介した案内書で、店名や名前だけではなく、花魁の内面まで分かる細見は斬新でした。
蔦重は吉原の正面玄関である“大門”の前に、「耕書堂」という店を構えます。 まだ20代の頃でした。
写真 蔦重が出版した吉原細見『一目千本』

蔦重は、大衆向け小説である黄表紙本などでも次々とヒットを生み出します。
やがて苦労の末、商いの中心地・日本橋へ進出。
流行していた狂歌を喜多川歌麿の絵と組み合わせた狂歌絵本『画本虫撰』を手がけ、大評判となりました。
このように狂歌師・戯作者・浮世絵師をタッグとして組ませ、新しい種類の本をプロデュース、商いを大きくしていきます。
絵 狂歌絵本『画本虫撰』

けれど、栄枯盛衰は いつの時代にも訪れるもの。
幕府は政権交代し、田沼意次の経済推進の自由な時代から、松平定信の質素倹約を重んじる堅苦しい時代へと変わります。
「寛政の改革」により出版物は厳しく統制され、蔦重は身上半減の刑(財産の半分を没収される)を受けてしまいます。
—— ここで折れないのが蔦重!
歌麿の美人画や写楽の役者画に力を入れ、商いを立て直し、再び繁栄させていきました。
様々な縞文様

蔦重の妻“てい”の衣装は、派手さはないものの、繊細な文様の組み合わせが印象的です…詳しくはこちら。
その“てい”が夫である蔦重の衣装も見立てていたのでしょうか。
結婚してからの蔦重の着物は、洗練された趣味の良いものに変わっていきます。
その中で多く見られる柄が「縞文様」です。
横縞しかなかった古代の日本… 縦縞はいつから?
縞文様

縞文様とは、線が平行して並んでいる模様のことを言います。
古代の日本では横縞を「段」、縦縞を「筋」と呼び 区別していましたが、実際に文様として使われたのは横縞の「段」ばかり、縦縞はあまり用いられませんでした。
室町時代になると、南蛮貿易によって縦縞の織物が日本に もたらされます。
「縦縞」は、“他の島の国から来た文様”という意味で「島文様」と呼ばれるようになり、後に「島」の漢字は「縞」の当て字が使われるようになりました。
こうして「縞文様」は、横縞・縦縞の両方を指すようになったのです。
江戸時代の粋な縞文様は、名前も面白い
江戸時代、縞文様は様々なバリエーションとともに流行しました。
遠くからだと地味な無地に見えるのに、近くでよく見ると細やかな縞文様が浮かび上がる…
これこそ、江戸の庶民が好んだ「粋」そのものでした。
贅沢禁止令の中、密かに庶民はお洒落を楽しんでいたのです。
線の太さや数、間の広さを変えることで、様々なパターンの縞文様が生み出され、その文様には“粋”で面白い名前がつけられました。
牛蒡縞
牛蒡縞

同じ幅の太い縦縞が、繰り返し並ぶ文様です。
まるで牛蒡がずらりと並んでいるように見えることから、牛蒡縞と名付けられました。
大名縞
大名縞

江戸時代に大名たちが好んだとされる縞文様です。
細い線が等間隔に並んでいるのが特徴で、上品で落ち着いた印象を与えます。
子持縞・両子持縞
子持縞・両子持縞

「子持縞」は、写真左のように、太い水色の線(①)の隣に細い水色の線(②)が添えられた縞文様。
「両子持縞」は、写真右のように、太い線(①)の両隣に細い線(②)が配置された縞文様。
太い線を親、細い線を子に見立てた遊び心のある名前です。
「両子持縞」は、親の両側に子の線があることから、「孝行縞」とも呼ばれ、家の繁栄を願う意味が込められています。
よろけ縞
よろけ縞

「よろけ縞」とは、縦線が蛇行している縞文様のことです。
縦の線が、まるで“よろけながら歩いている”ように見えることから、江戸らしいユーモラスな名前がつきました。
矢鱈縞
矢鱈縞

「矢鱈縞」とは、線の太さ・色・間隔・曲がり具合などが、自由奔放に配置された縦縞文様のことです。
「矢鱈」の漢字は当て字です。
「やたら」の意味が現代と江戸時代では少し違います。
現代では「むやみ、やみくもに」という意味ですが、江戸時代には「粋で奔放」というニュアンスがあり、その意味合いで名付けられました。
鰹縞
鰹縞

江戸時代、人々は「初物七十五日」—— 初物を食べると寿命が75日延びる」と信じていました。
特に初カツオは、縁起物として大人気でした。
さて、そのカツオ。
魚屋さんで見かけるカツオは写真 左のような模様です。
ところが、追い詰められたり興奮したりすると、写真 右のように、背のあたりに縞模様が現れるとか。

その時の模様を文様化したのが「鰹文様」です。
鰹の色が背から腹に向かって段々と薄くなるように、縞の色も濃い色から淡い色へとグラデーションに変化していくのが特徴です。
江戸の人々にとって、縁起が良くて大好物だったカツオは、文様としても愛されていました。
滝縞・両滝縞
滝縞・両滝縞

江戸時代、「滝」はパワースポットとして、また夏には涼を求めて「滝浴み」する遊所として…
信仰や行楽で賑わっていたそうです。
絵 葛飾北斎 諸国滝廻りシリーズ より「相州大山ろうべんの滝」

そんな人気の滝を、江戸の人々は縞文様で表現しました。
「滝縞」(写真 左)は、太い線から細い線へと変化し(写真 ①→②→③)、また太い線に戻ります。
「両滝縞」(写真 右)は、細い線から太い線へ(写真 ③→②→①)、そして だんだん細い線(写真 ②→③)へと変わっていきます。
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裂(きれ)取り文様 〜〜大河「べらぼう」ていの衣装より
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鮫青海波文様 〜〜大河「べらぼう」田沼意次の衣装より
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雨絣文様 〜〜 大河「べらぼう」喜多川歌麿の衣装より
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鰻つなぎ文様 〜〜 大河「べらぼう」大田南畝の衣装より
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