
目次
忘れえぬ宮殿
ベルサイユ宮殿

世界で最も有名な宮殿の一つ、ベルサイユ宮殿。
遥か向こうまで続くような「鏡の間」。
西側にはアーチ状の窓が連なり、庭園からの明るい陽光が降り注ぎます。
天井には鮮やかな絵画と煌めくシャンデリアが並び、至る所に金の装飾が施されています。
そして東側には、それらの光を跳ね返す357枚の鏡。
王政の時代、国家の重要な儀式や外国の賓客との謁見が行われました。
フランス王権の象徴ともいえる贅を尽くした空間です。
トプカプ宮殿

「トプカプ宮殿」はトルコ、イスタンブールにある世界遺産、オスマン帝国時代の宮殿です。
壁一面のタイルは、青と白、そしてチューリップなどの花々の赤。
トルコ特有のタイルは数百年を経た今も鮮やかに、当時の面影をそのまま伝えています。
トプカプ宮殿は、スルタン(オスマン帝国の君主)の居住であり、政治の場であり、そして有名なハレムがありました。
写真は、スルタンが外国からの大使や政府高官と謁見した部屋です。
ふんだんに使われた当時最高級のタイル、玉座の天蓋や天井などの金細工、シャンデリア。
荘厳ながらも明るい雰囲気の宮殿は、オスマン帝国の富と栄華を示していました。
知っているようで知らない 日本の宮殿
皇居=宮殿?

皇居=宮殿でしょうか?
答えは「いいえ」です。
宮殿は皇居内にある建物の一つで、儀式や一般参賀、外国の要人との会見や晩餐会などが行われます。
皇居には宮殿の他に、天皇御一家のお住まいである御所、天皇陛下が祭祀を行なわれる宮中三殿、宮内庁、江戸城跡を整備した東御苑などがあります。
明治宮殿

現在の宮殿は、戦後に建てられたものです。
それ以前には明治宮殿が建っていました。
外観は書院造を基調としながらも、内部は華やかな洋風のインテリアを施した和洋折衷の宮殿でした。
当時の日本は不平等条約の改正を目指しており、欧米の列強国と対等な外交関係を築く必要がありました。
そのため、外国の賓客を迎える部屋は、豪華でどこか威圧感さえ思わせる欧風の内装でした。
しかし、昭和になると、太平洋戦争中の東京大空襲により、その姿は失われてしまいました。
新宮殿 「威厳よりも信愛を、荘重よりも平明を」

戦後の復興を遂げ、高度経済成長のさなかにあった1968年、新宮殿がようやく完成しました。
戦争の前後で、天皇の立場も大きく変わります。
戦前は国を治める中心的存在だった天皇は、戦後、日本国民の象徴となりました。
それに伴い、宮殿の役割も変わっていきます。
新宮殿は、儀式や国賓の歓迎、賞の授与、一般参賀など、天皇の公的な活動が行われる場となりました。

明治宮殿は、室町時代に武家社会で発展した書院造りをもとに建てられました。
一方、新宮殿は、平安時代に貴族や皇族の住まいとして発展した寝殿造りの考え方を取り入れています。
寝殿造りは、部屋を細かく仕切らず開放的な空間が特徴で、多くの人が集まる儀式にも適した造りでした。
伝統的な寝殿造りとモダニズム、二つの良い点を融合したのが新宮殿です。
中庭を中心として、四方の建物を回廊で結んでいます。
屋根はあえて威厳を象徴するような瓦を用いず、人工的に緑青の錆をつけた銅板を使用しています。
明治宮殿やベルサイユ宮殿、トプカプ宮殿が豪華な装飾によって権威を表現しました。
それに対し、新宮殿は日本の伝統や文化を取り入れ、静かな美しさによって信愛※と平明※を表現しているのです。
※ 信愛…信用して深く愛すること 平明…分かりやすく、はっきりしていること
宮殿の見取り図

それぞれの部屋の様子は、宮内庁のHP こちらから見ることができます。
宮殿の中心「正殿」
正殿は、儀式などを行う宮殿の中心的な棟です。
1 松の間

宮殿の中で、最も格式の高い部屋です。
令和の「即位礼正殿の儀」。
天皇が皇位を継承したことを国内外に宣明する儀式が厳かに行われたのが、この「松の間」でした。
松の間では、即位に関する儀式のほか、総理大臣の任命式や皇室の行事などが行われます。
2 竹の間

この部屋では、天皇陛下が、国賓や各国首脳とご会見されます。
絵や壺や壁に竹のモチーフが使われ、竹の清涼な雰囲気に満ちています。
宮内庁が公開しているこちらの写真で、上品な装飾を見ることができます。
華やかな棟 「豊明殿」
3 豊明殿

宮殿の中で、一番広い宴会場です。
国賓をもてなすための宮中晩餐会、天皇誕生日の晩餐会などが行われます。
印象的なのは、部屋の壁画の「豊旗雲」。
西陣織の技術を使い、200色以上の絹糸の綴れ織りで造られています。
豊旗雲とは、旗が翻るように美しく長くたなびいている雲のこと。
神様や天皇の威厳を示すものとされていました。
奈良時代、天智天皇の詠んだ歌が浮かびます。
わたつみの 豊旗雲に 入日さし 今夜の月夜 さやけかりこそ
360度のパノラマはこちらから。(宮内庁ホームページ)
触れ合いの棟「長和殿」
4 南車寄、南溜
南車寄は、宮殿の玄関。
国賓や要人など、宮殿を訪ねる来客は、まずここに到着します。
淡い藤色のガラスを3500枚近く重ねたシャンデリア、黒御影石の床の豪華なホール「南溜」で出迎えられます。
宮内庁のホームページでは、360度のパノラマコンテンツを見ることができます。
南車寄せは、こちら。
南溜は、こちら。
5 「一般参賀」の舞台

新年1月2日と天皇誕生日に長和殿で行われる「一般参賀」。
天皇皇后御一家や皇族の方々は、100mもの長さのあるベランダにお出ましになり、東庭に並ぶ国民から祝賀をお受けになる行事です。
毎年、多くの人々が参加します。

ヨーロッパでも同じように、王室と国民との触れ合いがありますが、その様子は少し違います。
例えばイギリスでは、王族の方々はバッキンガム宮殿のバルコニーの高い場所から国民に手を振られます。
日本では僅か3.4mの高さのベランダから皇族の方々がお手振りをなさいます。
こうした事もやはり、象徴となられた天皇のお立場を配慮されているのでしょうか。
6 春秋の間

「春秋の間」では、天皇皇后両陛下が賓客を招いて開催される饗宴の儀や茶会などが行われます。
御即位の儀式の際には、正殿と向き合う位置にあるこの「春秋の間」で、各国の王族や元首たちが、儀式を見届けました。
360度のパノラマはこちら。(宮内庁ホームページより)
心に余白を与える中庭と回廊
7 中庭

中庭は、東西南北どこの棟からでも眺められます。
植木も少なく、ほとんどが白い小石を敷き詰めただけの庭。
京都御所や、平安時代の大極殿を模して建てられた平安神宮を思わせる趣があります。
古代より人々は、何もない空間に心の余白を感じてきたのでしょうか。
写真は京都御所です。
宮殿の中庭のパノラマ写真はこちらから。
8 回廊

賓客は、南溜より74mもの長い回廊を通って、正殿の竹の間へと向かいます。
両側からは障子を通して広がる柔らかい光、水平な線を描く桟。
ところどころ障子の開いた窓からは、右手に余白の中庭、左手には美しい日本庭園を眺めることができます。
来客者が歩みを進めるうちに、自然と心が整えられていくような廊下です。
絵はイメージです
竹丸文様

正殿「竹の間」の壁面は、気品ある「竹丸文様」。
壁紙ではなく、織物が貼られています。
「裂地」といい、上質な布地を壁に貼る、高い技術を必要とする伝統技法です。
竹丸文様

竹は、縁起の良い木の代表「松竹梅」の一つ。
神の依代とされる竹を形どった文様は、高貴な文様として古代から親しまれてきました。
竹の成長の早さから、子孫繁栄
強い風にも折れない強さから、不老長寿
変わらぬ緑色から、清浄
の意味が文様にはあります。

一年中若々しい色で、真っ直ぐに高く伸びる竹。
しなやかに、風にそよぐ竹の葉をモチーフにしたこの文様は、宮殿が目指した「信愛と平明」の理念にも、どこか通じているようです。
皇居内の散策
乾通りの一般公開

皇居内の乾通りでは、桜と紅葉の美しい頃に一般公開が開催されます。
2014年、現在の上皇陛下の傘寿を記念して、初めて一般公開されました。
多くの人が訪れて好評だったため、「開かれた皇室」の取り組みの一つとして、それ以降、毎年公開されています。
皇居東御苑

宮殿の東側には、皇居東御苑があります。
旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の跡地が、それぞれ庭園として整備されています。
雑木林や四季折々の花や野草、池には水生植物と、あらゆる自然を満喫できる庭です。
写真 二の丸庭園
「大嘗祭」の祭場

はるか昔の古代より、皇室では新米など穀物の収穫を神様に供えて感謝し、翌年の豊作を祈る「新嘗祭」が行われてきました。
特に天皇が即位後、初めて行う特別な新嘗祭を「大嘗祭」と呼びます。
写真は、大嘗祭を行う祭場として、皇居東御苑に建てられた大嘗宮です。
一般公開されました。
(現在は撤去されています)
